商店会について

東高円寺駅通り商店会とは

東高円寺駅通り商店会は、丸ノ内線 東高円寺駅からすぐの商店会です。
昔ながらの老舗の八百屋、魚屋、お花屋、クリーニング屋などは生活軸となるお店から最近では若い経営者の飲食店も増えてきてました。

なぜニコニコロードと呼ばれているの?

平成6年(1994年)に「東高円寺駅通り商店会」の通称とキャラクターを公募し約300通の中から「ニコニコロード」とキャラクター「ニコちゃん」が決定しました。
同時に「ディズニーランドのように明るい楽しい商店会になるように」と、緑や黄色の明るい色の街頭に新調し、「ニコニコロード」として定着していきました。

商店会はいつできたの?

1811年に建立された「堀之内妙法寺」へは青梅街道を通ってお参りをしていたといいます。明治22年(1889年)に新宿駅~立川駅までの甲武鉄道が開通し、中野駅ができたことで、田んぼのあぜ道を通って妙法寺へお参りをする人が増えてきました。
見かねた妙法寺の檀家総代「関口兵蔵」が中野駅から田中稲荷神社の前を通り、現在の蚕糸の森公園の西側を経て、妙法寺の門前までを通る、約2キロの新道(参道)をつくりました。
大正11年(1922年)、今は無き「共栄会市場」が栄え、参道に商店が立ち並び賑わいを見せたといいます。発足年ははっきりとしていませんが、この頃が東高円寺駅通り商店会ができた頃ではないかと言われています。

ニコニコロードは『裏高円寺』~他の高円寺エリアと違った魅力

今も大正、昭和から続く個人商店が根強いニコニコロード。「情緒ある」と言われることもありますが、古い人も多いので、良くも悪くも、商売の仕方が昔から変わっていないのだと思います(笑)
高円寺にある他の商店街に比べて、活気は少し欠けるかもしれないし、サブカルやパンク、古着のイメージの『高円寺』とは全くかけ離れているけれど、高円寺に、昔から変わらない、下町のような『裏の顔』があることを知ってもらい、そんな高円寺も楽しんでもらえたらと思い『裏高円寺』という肩書をつけることにしました。
発展することも、とても素晴らしいことですが、私たちはこのちょっと古臭い、ニコニコロードを『裏高円寺』と呼び、これからも大切にしていきます。

ニコニコロードの守り神「田中稲荷神社」

「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神で、「高円寺天祖神社」(高円寺南1)の境外末社。桃園川沿いに広がっていた水田の中にあったことから「田中稲荷」の名で呼ばれるようになりました。
4匹いるお狐様のうち1匹は巻物を加えており、お参りの際にその巻物をさわると良いことがあるとのウワサも…。ニコニコロードのパワースポットとして愛されている場所です。